レギュラー番組/菅原明子の「エッジトーク」

●ゲストー日比谷松本楼常務の小坂文乃さん
≪今回、2週にわたってお送りするゲストは、日比谷松本楼常務の小坂文乃さんです。小坂...≫


今回、2週にわたってお送りするゲストは、日比谷松本楼常務の小坂文乃さんです。小坂さんの著書「革命をプロデュースした日本人」(講談社)を中心にお話を伺いました。

菅原:孫文革命の後ろに日本人がいたというのは、知る人ぞ知るで、最近急に認知が上がってきたのかなというような気がしますが、いかかでしょうか。

小坂:孫文先生は中国人なら誰でも知ってる、日本人でもほとんどの方が知ってる世界の偉人のひとりでありますけれども、よもや、孫文先生が日本にいたり、日本人と深いつながりがあったということを知ってる方は中国でも日本でも研究者であるとか、ごく一部の方しか知らない話だったと思います。

小坂:孫文先生は民主革命を目指しまして、当時は清朝政府を倒すために革命運動を行ってらっしゃいました。孫文先生は最初に1895年に革命運動をはじめてから、11回も失敗を繰り返して、やっと1911年、今年から振り返ると100年前にコフクショウの武漢というところではじまった革命が成功して、清朝を倒すきっかけになったんですね。

菅原:歴史で誰でも習いますよね。「孫文」、「辛亥革命」とマーカーで線を引くみたいな。

菅原:この本をお書きになった動機なんですが、やはり、深いご縁がおありになったんですよね。

小坂:私は本で紹介させていただきます、孫文に一番最初に出会った日本人で、生涯、日本と中国との架け橋になった梅屋庄吉という人物の私がひ孫にあたります。いろいろ手元に当時の資料や日記が残っておりますので、これはひとつの本にして多くの方にお知らせしたいと思ったわけです。

菅原:本当に歴史的に貴重な本ですよね。写真を見ると、歴史上の有名人がぞっくり並んでるんですよね。戦争もあったりして、たくさんのものが燃えてしまった日本なんですが、これらの写真はどこに保管されてたんですか?

小坂:もともと梅屋庄吉は写真の仕事をしていたり、映画のビジネスをしていたので、写真はたくさん残っていて、当時の100年前にしては梅屋庄吉の娘、その娘、で次の私が4代目なんですが、本当に古いアルバムで風呂敷に包んで保管していたというものなんですね。

小坂:実は、すべてが残っているわけではなくて、今、手元に残されているものは歴史の中のごくわずかだと思いますが、千葉の方の別荘に晩年、梅屋が住んでおりまして、そこにあったものです。他は、梅屋が生きているうちに日本と中国の架け橋たろうとしておりましたものですから、晩年、梅屋庄吉は売国奴として憲兵隊に捕まってしまうようなシーンがあります。その時に重要なものはすべて欧州されていますので、惜しいことをしたというか。今となってみると、非常に貴重な資料もそのなかに含まれていたというように思います。

菅原:紆余曲折というか、人生の波乱万丈が、国際的に活動されて、夢とロマンを貫き通して微動だにしない男らしい、凛々しい、珍しい方だと思うんですけど、そういう柔らかくてまっすぐな人でも憲兵隊に捕まるような暗黒の時代があったわけですね。

小坂:そうですね。孫文先生がなくなる前くらいから、日本と中国の間は日に日に悪化しまして、梅屋は戦争だけは避けたいという気持ちが強かったものですから、なんとか、戦争を避ける道はないかということで、軍部に掛けあってみたり、当時の外相と面談をしてみたり、そういう行動が当時の軍部からすると祖国に弓引くような行動に写ったんですね。

小坂:梅屋は民間人でしたし、力足らずだったと思いますけど、それなりに最後まで息を引き取るまで架け橋たらんとした人生だったんですね。

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■小坂文乃(こさか・あやの)

東京生まれ。中学・高校時代を英国にて過ごす。立教大学社会学部観光学科卒業卒業後、WaterfordWedgewoodJapan株式会社勤務を得て、日比谷松本楼入社。現在、常務取締役企画室長。日英協会会員「孫文と梅屋庄吉研究センター」(上海)顧問。2010年上海万博日本館イベントステージにて、の企画、2011年辛亥革命100周年記念に向けた活動を、庄吉の曾孫として行っている。